6月15日のお昼ごはん
同居人くんと話していて、自分は悲しいほどに「一人体質」が染み付いているんだなぁと痛感した。
そして、それは時に人を傷つける。
本当は、色んな人に助けられているのに、そして、見守ってくれている人がいるのに、それに気づけない。わかろうとしない。たぶん、気づくのが怖いんだろう。「誰かのおかげで」と思った瞬間に、それを頼みにしてしまうことを私は極度に恐れている。
私には兄妹がいない。そのせいか、子供の頃から一人で遊ぶことが好きで、集団の中にいることが苦痛だった。それでも小学校、中学校と集団の中で生きていかざるをえなくて、そして、学校という巨大な集団で生活するには、「友達グループ」とかいうものの中に居場所を見つけなければいけない、ということは、子供なりに何となくわかった。
大人に囲まれて育ち、目端がきいて中途半端に頭が良かった私は、そういう集団性の機微、みたいなものを嗅ぎ取って、それなりに立ち回っていたんだと思う。いじめられることもなく、むしろ、ちやほやされることが多く、それが嬉しい反面、馬鹿げたことだとどこかしら思っていた。
嫌なガキだな、ホント。
でもま、こういう感じで、自分を守りつつ、集団の中で生きてきたんだと思う。(ちなみにその意味で大学時代は幸せな時間だった。一人でありながら、他者と関係するということを知ったのは、たぶんこの時期があったから)
私の母は、子供の私によく「自立した大人になりなさい」と語りかけた。そして、もう少し大きくなってからは、「兄妹がいないってことは、お父さんとお母さんが死んだら、あんたは天涯孤独なんだからね」と折にふれて言った。この二つの言葉は私の人生において、とても大きなウェイトを占めていて、それはとても良かったと思う。いつ、一人になっても困らないように、自分の足で立って生きること。それは、精神的にもそうだし、世俗的なことで言えば、仕事でありお金を稼ぐことにおいても、常に心がけてきた。「人に頼らず生きていけるように」。ともかくそれが私にとって大切な指針だった。だって、いずれ一人になるんだもの。まさに天涯孤独を覚悟して、おそらく今まで色んな局面に当たってきたんだと思う。
そのおかげでここまで来れたと思う。一人の覚悟と、それゆえの集団のなかでの立ち回り。そう考えたら、小学生から進歩ないのか、私(笑)
けど、そんな覚悟のデメリットに気づかされた。
なのに、それをどうすればいいのかわからず戸惑っている。私は「一人」であることのやめ方を知らない。だって、同居人くんと暮らすまで、そんなこと一度も考えたことなかったんだもん。でも、それじゃ、何のための二人暮らしなんだと、今更ながら思う。
臆病なのかもしれない。あるいは狭量なのかもしれない。他者へと開いていく勇気がないんだろう。
なにやってんだかなぁと思う今日この頃です。
というわけで、とりあえず丁寧な生活を心がけようということでシンプルなお昼ごはん作ってみました。
豚肉の塩焼き 紫蘇たっぷり キャベツソテー添え
鮭のバター焼き ブロッコリー胡麻和え
モズクとオクラの酢の物
納豆
ニラのお味噌汁
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