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2010年11月 9日 (火)

おもひで

ふと、あの京都での日々を残しておかなければと思う。

あの頃、私は身分を持たない、いわば一介のプー太郎だった。
(大学院はでたけれど、という・・・)
けれど、京都はプーに優しい。(ただしよく知っているプーにだけ)
研究がしたい、けれど認められない、悶々と悩むアラサ―のアホ。
でも、誰もそんなことに興味はない。
酒が飲めるか、強いか、そんなふうにして勢いづけて、私は20代を過ごした。
そうじゃないと生きていけなかった。
彼らは優しかった。
グデングデンに酔っぱらう私を見て、
「アホやなぁ」とか「無理してんなぁ」とか言いつつ、
けれど、いつも応援してくれていた。
仲の良かったバーテンダーは、
本当に私が疲れているときに、
「よし、ハグしたろ!」と言って、
「お前はホンマ頑張ってるって!」
と言って励ましてくれた。
そんなふうにして、私は街の中にいる人たちに支えられていた。

けど、それでも、しんどかった。
未来は見えない、愚痴る相手はいない。しかも、お金もない(笑)
しかも、私の専門は新ジャンルで、自分で道を切り開くしかない。
いい加減疲れていた。

そんな頃、引っ越して暮らすようになったのが西陣だった(それまでは東山住まい)。

・・・・びっくりするほど、自由人の集まりだった。
いや、正確に確かめたことはないのでわからないんだけど、
日がな一日ぶらぶらしている若い人の多いこと。
「焦る必要はない。自分のしたいことだけやろうや」
そんな聞こえない声を聴いた気がする。

とはいえ、あっちでけなされ、こっちでバカにされ、という日々もあったのですが。
肝だけは座った(笑)
ここまで来たんだから、前を向いていこうと。

そんな折、
私は同居人くんと一緒に暮らすようになり、
私たちは西陣のアパートから、西陣の町屋に引っ越した。
(その距離、徒歩圏内。)

町屋の暮らしは、面倒だった(笑)
だって、回覧板のある暮らしだもの。
お向かいのおばあちゃん、組長をしている隣の隣のおばあちゃんに、
なぞの着付け教室。
ともかく人と関わることが多かった。
でも、引っ越してきたときに、おばあちゃんたちが、
「こんなところに、若い人が来てくれてうれしい」と笑ってくださったことは忘れられない。
そのあとも、回覧板を頂くたびに、
「こんなんはなー、お金出さんでもよろしおす」
とか色々アドバイスされつつ、楽しかった。

近所付き合いはそんなわけで苦にならなかったんだけど、
一番、大変だったのは、古い家問題として、ネズミ!
こいつに関しては闘いでした。

でも、それでもあの頃の生活を思い出すのはなんでやろう。
肌合いというか、手触り、というか、
たとえば、今日、晩ごはんの後片付けをしながら、その瞬間は訪れた。

あの家の、
土間での台所仕事。
土間は寒く、少し薄暗くて、
けれど、シンクは広くて屋根が高いので、洗い物の水音がよく響く。
そんなことを、ふと思い出す。

寝室が二階で、
トイレは一階のしかも離れ。
めんどくさいし、冬はホント寒かった。
寝ぼけまなこに、離れに行くために一旦土間に降りて、
外に出るのは本当にめんどくさかったんだけど。

それでも思い出す。
寝室にしていた二階の低い天井。
同居人くんの仕事部屋は下の土間がよく見えた。
そして私の仕事部屋は一階で小さな小さな前栽に面していた。

日々の買い物は地元の商店街と小さなスーパーで、
買い物をして帰ってくれば、近所のおばあちゃんに、
「今日は○○まで行ってきたん?」と訊かれたりしながら、
本当につつましく、けれども充実した時間だった。

それまでフラフラと自信のなかった私が初めて認められたような、
西陣のあの町屋での暮らしはそういう経験だった。

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