11月29日のお昼ごはん
遠距離というのはなかなかに難しい、とこぼした私に、
「お互いのことを尊重し合って」と言った人がいて、
思わず、
「私、そういう言葉が一番嫌い」と言い返してしまう。
「お互いのことを理解している」とか、「尊重している」とか、
なんだ、その口あたりのいいだけで中身のない言葉。
「理解すること」の果てのなさ、や
「尊重すること」の難しさ。
相手を想うことと、自分のエゴの境目。
他人と一緒にいるということは、そういう苦しさに向かい合うことなわけで。
口あたりのいい言葉は、そういう矛盾を隠ぺいしてしまう。
そこで、「わかりあっている」と繰り返すのは、
自分の殻に閉じこもっているにすぎない。
そんなのは、体のいい「無関心」だろう。
「理解と言う名の無関心」。
10月の学会でお目にかかった老教授もそうおっしゃっていた。(さっすが実存主義の大御所)
人にかかわる、というのは、そんなお気楽なものでは決してなくて、
(少なくとも私にとっては)
乱されて、イライラして、でも、爆発的に楽しいこともあって、
そんなふうに、激しく動くものだ。
そして、「相手のことを尊重する」という名目で、互いに踏み込まない領域を作って、
静かに暮したいのであれば、
私は、初めから一人でいることを選ぶ。
だって、そんなの一人でいるのと変わらないもの。
二人でいる意味のある関係を築くには、
むしろ、理解したいと思いつつ届かなくて、
大切にしたいと願いつつ、傷つけてしまい、
そこにいる他者の存在に振り回されることでしか可能ではないんじゃないだろうか。
苦しいのは、一人でいることではない
一人でいることに慣れてしまうこと、二人でいることの意味を失ってしまうこと。
とかなんとか、考える休日の昼下がり。
お休みのランチって、なんとなく麺類って感じ。
手早く食べて、仕事しよう。次のアイデア、まったく浮かばんぞ。
・明太子パスタ
(パスタと一緒にエノキも茹でています。トッピングは水菜)
・コールスローサラダ 茹で鶏入り
・鶏手羽コラーゲンスープ
(もちろん自家製。手羽先と手羽元二種類で煮出しています)
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