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2009年5月17日 (日)

ハリオの冷茶急須

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水出し緑茶用にガラスの急須を買った。
さすが、ハリオ。安いけど、使いやすくて丈夫そうだ。
ちなみに、「ユニバーサルデザインのため左利きの方も使いやすい」
と書いているのだが、
急須の左右ってどういうことだろう?
私と同居人くんは二人とも左利きなのだが、
ちょっとよくわからなかった(笑)

二人で暮らすようになってから、
きちんと急須でお茶をいれて飲むようになった。
一人暮らしのときも、そういうことをしないではなかったが、
さすがに、毎日お茶をゆっくり楽しむようなことは少なかったように思う。

怖かったのだと思う。
一人暮らしを過不足なく完璧におくってしまうことが。

先週、同居人くんと「チルドレン」(wowwowでドラマ放送。原作伊坂幸太郎)をDVDで見た。
まぁ、私は大森南朋が見たいだけだったんだけど(笑)、
そのなかに、ちょっと個人的に苦しくなったシーンがある。
それは、主人公である坂口憲二とその想い人たる小西真奈美の食事シーンだ。
この二人が一緒に食事をするシーンが映るわけではない。
それぞれに一人暮らしをする二人が、
仕事を終え、家に帰って、それぞれに食事をつくる。
お味噌汁、小鉢が二つに、メインデッシュ。
それが、ランチョンマットの敷かれた食卓にちんまりと並べられる。
そして、一人で「いただきます」。
もくもくと丁寧に食べる。いや、咀嚼すると言ったほうがいいかもしれない。
そういう二人の食事シーンが並行で流れるのだ。

その食事の整然とした姿が、私には痛かった。
というか、あまり見たくないものだった。

それは、とてもかつての自分に近しいものだった。
規則正しく、きちんと食事を作り、ゆっくり食べる。
静かな、けれど、不足のない一人の食事。

もちろん、それが悪いわけではない。
むしろ、良いことなのだろう。
「一人なのに、丁寧に暮らしている」とか言われてしまうのかもしれない。

けれど、そうなのだろうか。

一人で、丁寧に暮らすことは、ある意味でとても簡単だ。
全てを自分の形にすれば、いい。
基準が自分にあるのだから、丁寧にするのはたやすいことなのだ。
基準が自分にあって、形を作るのも自分。
過不足がないのは当然だし、
過不足がないから、とても楽だ。

楽なことは悪いことではない、決して。
ただ、私にはそれが怖かった。それだけのことだ。
江國香織が『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』で書いていたけれど、
「ただこのままだと出口がなくなりそうだった」。
そういうことだったのかもしれない。

乱されたかったのかな、私。

・・・・・
でも、今は乱されすぎて、
ときおり混乱をきたしますが(笑)

もう、なんで、出した飲み物は冷蔵庫にしまってくれないんだろう(怒)
・・・とおうち飲み会翌朝の惨状。

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